ともきんぐだむ

主にゲームやアニメなどの話題について、その時、考えたことを書きます。

『名探偵ピカチュウ』感想〜かつて少年だった人たちへの手紙〜

こんにちは。ともき(@tmk_423)です。

 

遅ればせながら、先日「名探偵ピカチュウ」を見て参りました。

meitantei-pikachu.jp

結論から言えば、シナリオよしアクションよし映像美よしでとても面白かったです!

公開から大分時間が経っているので、今更感は拭えないですが、今回はその感想を書いていきたいと思います。

この物語は、ポケモンと共に過ごしてきた人へのメッセージだ、と受け取ったので、そのあたりをコッテリ書いてます。

 

※以下、本編のネタバレが含まれます

 

鮮やかに描かれるポケモンの世界観

多くの方が指摘している通り、この作品はとにかくポケモンと共存している」世界観を並々ならぬ熱意を持って製作しており、その映像を見ているだけで楽しい。

登場する全てのポケモンに「もしこのポケモンが現実社会いたとしたら?」ということが深く考えられいる。ガーディやゼニガメのように、直接人間のサポートをするポケモンもいれば、ワシボンエイパムのように特に協力するでもなく共存しているポケモンバッフロンのように家畜として扱われているポケモンリザードンギャラドスのように対戦で人気のポケモンなど、様々な役割が与えられている。

ポケモンとは、周知の通りコマンド入力RPGとして発売されたゲームが原作であるが、その魅力的な造形や生態から、外伝やアニメなどで様々な可能性が模索されてきたキャラクター群だ。

そんなポケモンの姿が、私達の知る3次元の日常風景に存在するとしたら、どうなるのかという点を、この作品は徹底的に考察している。

もっと言ってしまえば、2次元で夢見た世界を、そのまま地続きに3次元に移植し、そこに3次元ならではの味付けをなめらかに加えていっている

 

ポケモンの想い出から映画の世界への鮮やかな導入

この映画は、まず、ミュウツーの脱出から始まり、草むらにいる野生のカラカラにモンスターボールを投げるシーンに続く。

ミュウツーの脱出は言うまでもなく、アニメ映画「ミュウツーの逆襲」を彷彿とさせる展開だ。さらに、草むらにいるポケモンにボールを投げる行為は、ゲームとして見たポケモンの光景そのものだ。

アニメ・ゲームというほとんどの人が初めてポケモンに触れたであろう原体験に映像体験を擦り寄せていくことで、作品世界へスムーズに導くことに成功している。

主人公のティムは、ポケモンと共存する実験都市ライムシティの住人ではない。ポケモンモンスターボールに収納する文化の下育ち、かつてはポケモントレーナーを目指していた青年だ。

彼の境遇は、まさにポケモンを楽しんできた世代の人の感覚に近い。

そんな彼が初めてライムシティを訪れることで、視聴者とティムはポケモンと共存する世界という、誰もが一度は夢見たであろう世界に、驚きとともに足を踏み入れていくのだ

エンディングにて、ドット絵のポケモンの導入に始まり、ゲーム原作風のイラストで作中の登場人物が描かれる。

これは、この作品がゲームの世界から地続きに構成された世界であることを意味しており、ゲームをプレイし夢見た世界を作りあげたという意思表示だと思う。

 

 

少年時代を取り戻す物語

この物語の根幹は、ポケモンとの共生だけではない。

ティムとハリーという親子の関係が一つの根幹になっている。

ティムは、仕事で忙しい父親と暮らさずに、孤独な少年時代を過ごしてきた。そんな中で、大好きだったポケモンとも自然と距離をおいていく。そして現在は、保険販売員という、ポケモンと一切関係のない堅実な職に就いていた。

彼は、少年時代を失った。

父親に見守られ、ポケモントレーナーを目指すという、年頃の少年らしい人生を過ごすことができなかった。

この物語は、そんな少年時代を取り戻すことで、ティムとハリーの人生に光を照らす物語だ。

彼は、ピカチュウというパートナーに出会う。言葉が話せて、電撃が使えないという風変わりなポケモンではあったが、ティムとピカチュウは友情を育みながら謎を解き明かしていく。

この過程が、ポケモントレーナーを目指す物語と共通していた。

野生ポケモンの群れとのバトル、ライバル兼相棒との出会い、リザードンという強敵とのトレーナーバトル、そしてロケット団を彷彿とさせる"R"という名の謎を追いかけ、森の奥で伝説のポケモンに出会う。

このシナリオは、まさに我々があの日、ゲームの中でした冒険そのものだ

ポケモンから離れた青年ティムが、ゲームさながらの体験をしていくことで、夢見た青春を取り戻す。

そこにライムシティの暗部には大人らしいビターな味付けがされているものの、その冒険は確かにポケットモンスターだった。

それだけではない。

ピカチュウの正体が父親ハリーであったことが、物語の終盤に判明する。

これが、ティムの失っていたもう一つのもの。父親と過ごす時間だ。

ティムは父親を信頼することができず、僅かな会う機会さえ拒むようになってしまっていた。それはひとえに、彼が望んでいたものが、父親との儀礼的な交流ではなく、一緒に過ごし冒険する時間であったからだ。

ティムは父親とゲームをしたかった。一緒にポケットモンスターを遊びたかった。

そんな彼の失われていた青春が、運命のいたずらにより修復された。

少々体裁は変わっていたものの、父親と一緒にポケモンを巡る大冒険ができたティムは、初めて父親を許し、共に過ごしていく決意ができるようになる。

 

ポケモンと共に育ってきた大人たちへの手紙

この作品は、ゲームの世界から地続きに大人の世界へとポケモンの世界を顕現させている。

そして、大人となった青年がポケモンと共に旅をした青春をなぞり、自身の青春を取り戻していく。

この物語は、青春時代とポケットモンスターが密接に融合していた我々だからこそ共感できるものだ。

大人になっても、ポケモンと共にある世界は実現できるし、私達は夢を見ることができる。

『名探偵ピカチュウ』はそんなメッセージを発信しているのかもしれない。

 

 

余談

効率より「いろんな変身したい」を優先するメタモンかわいい