映画「ドラゴンクエスト ユアストーリー」感想 とにもかくにも彫り込み不足で時代おくれ
こんにちは、ともき(@tmk_423)です。
ご無沙汰していますが、プライベートがバタついていたのと、ゲームが面白いのとで、文章を書くのが疎かになっていました。
温めていたネタもあるので、ぼちぼち放出していけたらなーと思います。
さて、今回は映画「ドラゴンクエスト ユアストーリー」の感想を書いていきたいと思います。前後半あります。どっちからでも読めるよ。
この映画は国民的RPGドラゴンクエスト、その中でもとりわけ人気のVをベースにした映画作品です。監督は「ALWAYS 三丁目の夕日」「STAND BY ME ドラえもん」などを手掛けた山崎貴監督。脚本も監督自ら手がけているようです。今度はルパンをやるみたいですね。
そんな映画ドラクエの感想を、ドラクエシリーズをほとんどプレイしており、特に5は累計3回クリアしている自分の目から、マイストーリーを交えつつ感想を書いていきたいと思います。
前半部分については、ドラクエ5を多少知っているならばネタバレはありませんが、後半にはネタバレが含まれます。
コミカルでダイナミックに再構築されたドラクエの世界
まず、私は映像化作品は原作に忠実なデザインであるべきとは思っていません。
というのも、せっかく別メディアで展開するのだから、そのメディアでしかできないことを目指してほしいからです。
そういった点で、今回の映画ドラクエはCGアニメの表現に最適化した、ドラゴンクエストの世界を見事に再構成したと言えるでしょう。
この作品のデザインはゲームのCGとは大きく異なります。むしろ、ピクサーなど海外のCGアニメ作品に近い。雑な言い方をしてしまえば、ディズニーっぽく再構成されたドラクエです。
CGアニメというと、この類のデザインが主流になってきていますが、これは最もCGに映えるからと言って良いでしょう。
手描きアニメには手描きアニメの、実写には実写の、そしてCGにはCGの特異領域があります。そんな中、特にCGが得意としているのは物理シミュレーションベースのリアルでダイナミックな動きと、細やかな物質の質感の表現でしょう。「実写でいいのでは」「アニメでいいのでは」と言われないように、CGアニメは独自の方向に進化していきました。その一つの結論が、こういった粘土のような質感のキャラクターによるコミカルでダイナミックなアクションなのではないでしょうか。
そして、そのような表現手法の中で、ドラクエの世界観を再構築しています。サラボナの街の建物など、いかにも絵本の世界のような造形になっていますね。どちらかというと、ファイナルファンタジーIXを思い出すような温かみのある世界観となっています。
その際たる例が「ルドマン」でしょう。ハンプティ・ダンプティのような外見になったルドマンが階段を駆け下りるシーンなどは、このモデルの強みをふんだんに生かしていると思われます。
ドラクエを象徴するモンスターたちのデザインも、そのような目的のもと行われており、CG技術を駆使した物質感のあるテクスチャや毛並みの表現の中、実にキビキビと動きます。メッサーラ、お前そうやって飛ぶんか。
他にもバンバン岩を飛び移るブオーン戦や、派手なギミックが飛び出すゲマ戦など、見ごたえのあるシーンが満載で、CGアニメのためにドラクエの世界を再構成したものとしては、成功したと言えるのではないでしょうか。
鳥山明先生の絵で動いているのを見たかった・・・という声ももちろんわかりますが、鳥山絵ではできないようなアクションや世界観をきっちりと打ち出していたと思います。活き活きと動く鳥山アートワークが見たいのであれば、ドラゴンクエスト11をやりましょう。
2時間の尺に見事に圧縮されたドラクエ5のストーリー
ドラクエは一般にクリアするのに30~40時間かかるゲームです。その大半が移動や戦闘に割かれているとはいえ、2時間にすべてを抑え込むのは、やはり無理があるでしょう。
そのため、改変を交えながらドラゴンクエスト5の物語をさらうダイジェスト・ストーリーになるわけですが、実に大胆な改変を交えつつ、うまいこと見どころを圧縮できていたと思います。
まず、重要アイテムは天空の剣に一本化。
水や炎のリングはありません。天空の剣が魔界を封印する鍵になっていますし、ルドマン家にあるのも、盾ではなく剣です。てか、天空の鎧も天空の盾も出てきません。サラボナは開幕ブオーンが出てきます。
さらにエルヘブンの民だったマーサも天空人になっており、空気と言われていたイブールも削除。挙げ句の果てにはグランバニアも出てこず、王族という話はバッサリカットされております。
これにより、主人公リュカの名前にグランバニアが入ってる理由もよくわからなくなりましたが(そもそも、この主人公の名前は小説由来なので、かわいくない争いになってしまった模様。PS2版などで使われているデフォルトネームはアベル)
2時間という尺の中に収めるため、シナリオのエッセンスだけを徹底的に抽出した結果、大きな矛盾なくシナリオを圧縮できていたと思います。
ビアンカとフローラの選択は、原作よりも尺が割かれ、それぞれの心情を表情豊かに描写しておりました。きちんとドラマになったせいで、いきなり結婚を考える主人公のサイコパス感が増しているような気もしますが、まあそこは原作も似たようなものなので。選ばれなかった方にも、ちょっとしたフォローが入っているのはポイント高いですね。
ブオーンやプサンといったキャラクターを上手く配置し、2時間の中でエッセンスを詰め込んだ手腕は素晴らしいと思います。初見の人からすると性急な展開になっていることは否めませんが、シリーズ経験者としては、伝えたい部分は伝わる構成になっていました。
安定の音楽
今作の音楽はすぎやまこういち氏自ら担当。
東京都交響楽団といういつものメンバーで盛り上げてくれます。
序曲はこれぞドラクエという名曲なわけですが、割と多様されていて、ちょっともったいなかった。
今回は天空シリーズであるDQ5の映像化なので、意図してDQ1~3の曲は少なめにしていた印象。・・・と思いきや最後アレかい、とずっこけた。
それにしても、DQ6の音楽がやけに多い。主要どころはだいたい網羅している。
個人的には、DQ9の「決戦の時」が使われていたのが嬉しかったですね。ストーリーメインの作品ではないため忘れられがちですが、とてもいい曲。
前半まとめ
この映画は、フル3DCGアニメーションの方法論で、ドラクエの世界観を再構成しており、その試みは成功していたと思います。
新たな解釈で命を吹き込まれたドラクエの世界を見てみたい! という方には、見て見る価値のある作品ですね。
(ここまでだいたいネタバレなし)
(ここからネタバレあり)
アレについて
はい、本番。
ここからが本番です。
「木を見て森を見ず」的な感想を書きたくないので、前座をはさみました。
さて、この映画を語る上で、無視できないのが最後のアレですね。
未見なのにこの感想を読んでいる酔狂な方のために解説すると、「この世界はVRで作られたドラゴンクエスト5のリメイクにすぎない」という大どんでん返し。
主人公はそんなVRゲームをプレイしている、一人のプレイヤーに過ぎなかったのです。他のキャラクターはすべてコンピューターによる幻。そんな現実をわざわざ突きつける"ウィルス"に、プレイヤーである主人公は立ち向かっていきます。
そして、「たしかにデータかもしれないが、そこにはリアルが確かにあった」と叫び、この困難を切り払うのです。
一応、伏線もとい違和感は存在しています。
まず気になったのが、冒頭のスーファミ版の再現。
SFCの原作には幼少期にフローラと出会うシーンはありません。
この段階で、「思い出とは違う、新たなるものである」という予感をさせています。これは、尺の都合で入れられた大量の改変への違和感を和らげるためのものだと思って見ていましたが、違いました。
また「今回は」というフレーズをNPCが度々発しており、この世界が繰り返されていることを示唆しています。
妖精に会うためにメタルハンターと戦うのも原作にありませんね。原作では迷いの森を突破するので。というか、オリジナルではどちらかというとサラボナに近かった妖精の国の場所が、チゾット付近となっています。
これについては「ロボットと戦いたい」というプレイヤーの要望を反映したために加わった改変であると、作中で説明されました。
なお、筆者はオプションに表示されていた「追加キャラクター:1」が誰のことか確証がありません。
主人公は、かつてSFCのドラクエ5をプレイしており、PS2でもプレイしていた、ドラクエファンでした。そんな彼が、「今度はフローラにしてみようかな」と言って、自身に暗示をかけてフローラルートを選ぼうとします。しかし、そんな自己暗示をフローラ自身に見抜かれてしまい、結局彼はビアンカを選ぶのです。(もしかしたら、このフローラが追加キャラクターの正体なのかもしれません)
そう、ゲームに選択はつきものです。
沢山ある選択肢の中で、自分だけの攻略ルートや手順が存在する。
そして、何度も攻略するたびに、毎度物語が変わっていく。それが、RPGの醍醐味です。
ドラゴンクエスト5は特にその傾向が強く、「自分だけの思い出」を生む作品です。
その最大の理由が花嫁の選択、そして仲間モンスターの存在です。
ドラクエ5を題材にするのであれば、花嫁の選択だけではなく、仲間モンスターという要素に触れなかったのは、片手落ちと言わざるを得ないでしょう。お供がスラりんとゲレゲレだけというのは「あの頃遊んだドラクエ5」ではないんですよね。あと、「あの頃遊んだドラクエ」をやりたいなら、娘を抹消した意味がマジでわからない。
ぶっちゃけ、2つ(DS版からは3つ)しかない選択肢から選ぶだけだったら「自分だけの物語」とは思わない。ADVとRPGの違いはそこにあります。
攻略ルートや育成方針、誰をスタメンにし、誰が死んだか。そういった「選択と結果」一切合財を含めて、「自分だけの物語」なのです。そういった思い出が生まれるからこそ、ロールプレイングゲームと呼ばれるのです。堀井雄二氏の語る「人生はロールプレイング」という言葉の意味も、そのあたりにあります。
シナリオにプレイヤー好みのアレンジを加えられる、プレイヤーの思考を捻じ曲げてまでこれまでとは別ルートを選択するという今作で登場した材料は、「ゲームにおけるリアルとはなにか?」という問いに踏み込める最高の材料だったんですけれど、それを放置してしまった。
「この世界は、お前の願望で歪められた、まがい物の世界なのだ」ぐらい言ってくれれば、もっと面白いテーマになったんですけどね。簡単に婚約破棄する主人公の外道ぶりがちゃんと跳ね返ってきますし。一見ハッピーエンドのように見えても、種を明かされた結果、無事ハッピーエンドに戻ったとはいえ、虚しさが残るでしょう。
それらを活かすやりとりや演出がないため、ラストのやりとりは言葉通り「ヴァーチャルの世界だけど確かに生きていた」というテーマだけになってしまいました。何しろ、アンチテーゼをいうウィルスの側が「現実見ろ」しか言わないせいで、テーマがそこだけの問題に矮小化されてしまう。
「バーチャルなデータかもしれないが、たしかにリアルを感じたのだ」というテーマだけなら、古今東西広く扱われています。最近だと、人工知能に恋をした「her/世界にひとつの彼女」などがあります。バーチャルとリアルの境界というテーマならば、昭和の時代に岡嶋二人の「クラインの壺」という小説もそれを扱っています。
奥に生身の人がいるとはいえ、「ソードアート・オンライン」も似たようなテーマを取り扱っています。つまりは、ゲームものとしてだけでなく、VR軸のSFとしても何周も遅れたテーマなんですよね。
であるからこそ、そこに据え置きゲームならではの要素を盛り込んでほしかった。
そして、最大の問題なのですが「ゲームだったけど、たしかにリアルだった」というテーマ。ドラクエのCMでやってるんですよね、すでに。
このテーマに関して言えば、本作はこの2分ちょっとの映像に何一つ勝っているところがない。
なぜこんなことになってしまったかというと、2時間かけて物語を描いてきた前座が全く活かされず、プログラムとの対話に終始してしまったのが痛い。
都合よくやってきたヘンリーにリアルを感じるのか? という話。この物語はDQ5の物語を実にうまく圧縮しているのだけれど、それがゆえにご都合主義的だし、花嫁の選択にも代償がない。ダイジェストであるがゆえに、リアルを実感することはできない。
「ゲームとリアル」というテーマを描くのか、「ドラゴンクエストの世界」を魅せるのか、2時間という枠の中では、どちらかを選択すべきであったように思います。奇しくも、「選択がリアルを生む」という現象を、逆説的に自ら体現する形になってしまった。
長くなりましたが、この映画はドラゴンクエストの世界を魅せるという点については、よく作られていたと思います。
それがゆえに、最後にとってつけられたように「ゲームとリアル」という話題が浮いて見えるし、「このテーマに、ドラクエという最高の題材を持ってきたのだから、もっと踏み込めるだろう」という思いが拭えません。むしろ、ゲームならではの特異性を本当に考察したのか? と言いたくなるレベルの、ありきたりなSFのやりとりに終始している。
というわけで「映像は面白いし、確かに楽しい作品だが、テーマはもっと練ってほしかった」というのが、自分の中での評価です。