ゴーストオブツシマの「ステルスゲーム」としての完成度に感動した話
半月ほど前、SIE販売Sucker Punch開発のゴーストオブツシマをクリアしました。
世間的にも極めて評価が高いゲームで、極限までこだわりぬいた時代劇的世界観の造形や、誉れをめぐり葛藤する男たちの物語など、あらゆる要素で称賛の声が上がっています。
そんな中、自分は少し違った角度で感動したので、それについて書いてみようと思います。
それは、ステルスゲームである意味をちゃんと見出せたゲームということ。
近年、ステルスアクションを採用したアクションゲームは多数発売されていますが、ここまでステルスする意味にこだわったゲームはなかなかありません。
そもそも、ステルスゲームの起こりは、1987年に発売されたメタルギア(MSX2)です。かなり長い歴史を持ちます。
もともとは、マシンスペック的に多数のキャラクターを動かすことができず、苦肉の策として敵に見つからずに潜入するゲームというシステムを構築したのが、その発端になります。
1998年発売のメタルギアソリッドの大ブレイクもあり、ステルスアクションゲームというのは、ひとつの巨大ジャンルに成長しました。
最早、ステルスゲーという概念を知らないやつはいないだろう、ぐらいの空気すら感じるほど、ステルスアクションというのは身近なものになりました。
近年だとオープンワールドの狩りゲーと融合したHorizon Zero Dawnや広義にはゾンビゲームのThe Last of Us、インディーズでは2Darkなど多くのステルスゲームが出ています。
ステルスアクションを構成する要素を挙げると以下のようになるでしょうか。
・プレイヤーはマップやアイテムを駆使して敵の目を掻い潜りミッションを達成する
・プレイヤーは相手の裏をかくことで敵を安全に沈黙させることができる
・敵は初期状態ではこちらに気付いていないが、見つけると大挙して押し寄せてきて一気に不利になる
この三点目が一番重要ですね。
基本的にステルスをする理由は「そうしないと敵が強くて勝てないから」に尽きます。
ステルスを要求する都合上、見つかるということがプレイヤーにとって最も不利になるのです。
なので、生身ではとうてい勝てないような強敵に対して立ち向かっていくゲームに対して、このようなシステムが採択されることが多い。
ですが、これって単純に難易度デザインの問題で、世界観的に「なんで?」という問いに答えていない。
たとえ強大な敵であっても、バイオハザードのように数を減らせばステルスをせずとも普通に立ち向かえるアクションになります。
ゼルダBotWのように、攻略の自由度を上げて様々な攻略法を考えさせるのもよい。
そのなかで、あえてステルス中心のアクションを選択するというのは単にゲームデザインの塩梅としか言いようがないのです。
これは、どんなゲームシステムでもいえることなのですが、あるゲームシステムが普及すると、シナリオ上の理由が特にないまま実装されていきます。
同様にステルスゲームの場合、「なぜあえてステルスしなければいけないのか」という理由が希薄なまま、ステルスアクションというシステムが採用されることもしばしばです。
またシステム上、敵のAIはある程度アホにしないといけないので、リアリティという面ではノイズにすらなります。
ステルスゲームが当たり前に普及した結果、ステルスする意味を真面目に考えるということは減ってきていると感じています。
なお、メタルギアも基本的にスネークがいること自体が敵にバレバレなので、クリア難度の問題さえクリアすれば「ステルスする意味とは・・・?」となる局面が多々あります。
これ自体は悪いことではないです。
批判する気はありません。
いまや、なぜHPという数値を削り取るコマンド式RPGをやらなければならないのかという疑問を浮かべるような人はいないでしょう。
ゲームというのはあらゆる要素をつかってプレイヤーに没入体験を与える総合芸術ですから。
ストーリーとシステムが乖離していることなど日常茶飯事ですしそれぞれが個別に面白ければ十分なので、そのこと自体は何も問題ありません。
ですが、世界観とゲームシステムが融合したゲームには高い没入感があります。
それは、プレイヤーにゲームを攻略する意味を積極的に与え、プレイヤーとキャラクターの一体感を高めてくれるのです。
例えば、ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドはストーリーラインを極限まで地域に分散させ「あえてオープンワールドを探索する意味」を与えることに成功しました。
ゴーストオブツシマは、ステルスゲームという点においてその没入感を完璧なものにしています。
(なお、オープンワールドである意味はそこまでないです)
ツシマの戦闘も基本的にはステルスキルを目指します。
その理由は「楽だから」です。
ここまでは数多のステルスアクションと一緒。
ですが、境井仁は武士ですので、誉れを守る「一騎打ち」をすることが推奨されています。
事実、名乗りを上げて敵に挑む一騎打ちはゲームシステムとして実装されています。
こんな自殺行為みたいな機能が実装されているのが、他のステルスアクションとは一味違うところ。
一騎打ちで正々堂々と相手を倒していくのが正道である。
それでも、境井仁は「確実だから」「民を守らないといけないから」確実に勝てるステルスという邪道に手を染めていくのです。
特に序盤は、正面から一騎打ちを挑んでもなんとかなるバランスというのが本当にニクイ。
プレイヤーも正道である一騎打ちで勝負を決めたいものの、やはり確実に勝ちたいから徐々にステルスキルに手を出していくことになります。
理由は「楽だから」。
それは境井仁の心情ともリンクします。
プレイヤーは画面下に表示される一騎打ちという誉れある選択肢を意図的に無視して、蒙古兵を闇討ちしていかなければなりません。
この自ら正攻法を切り捨ててステルスに走る感覚こそが、邪道に走り冥人と呼ばれていく境井仁の格好のロールプレイになっているのです。
ステルスはあくまで手段であって目的ではない。
このゲームは、決してステルスを目的とせず、手段としてプレイヤーに選択させることを選びました。
そして、境井仁もまた、手段としてステルスに手を染める自身の道について悩むことになります。
プレイヤーとキャラクターの思考を高い次元でリンクさせたこと。
これこそが、ゴーストオブツシマに没入感をもたらしてくれていると、私は思うのです。