【悲恋ファイル5】記憶喪失中にできた妻 ラリサ・ミハイロフ(はいからさんが通る)
こんにちは。
今回紹介するのは、大和和紀の名作少女漫画「はいからさんが通る」より、記憶喪失中にできた妻・ラリサ・ミハイロフです。
記憶喪失中にできた妻について
記憶喪失というのは、古典少女漫画や韓流ドラマにおいてそこそこの頻度で登場するギミックです。主人公とその想い人に訪れる試練としては極めて強力なギミックで、近年その姿を見かけることこそ減りましたが、悲劇発生装置としては依然トップクラスの破壊力を持っているといえるでしょう。
そんな記憶喪失にまつわる障害として登場するのが「記憶喪失中にできた妻」です。
せっかく運命の再会を果たしたのに、想い人は結婚して子供までいたという展開のドロドロ感はすさまじい。何しろ、一般的なライバルキャラと違って婚姻までしてしまっているのです。「ちょっと待ったぁーっ」と結婚式に乱入するのとはレベルが違います。
昨今、不倫に対する風当たりはますます強くなり、不倫をテーマにした作品の場合、不倫をした人間に何らかの天誅が下ることがほとんどです。多くの宗教戒律でも不貞は重罪とされている通り、基本的には妻の側に分があるのです。
しかし、記憶喪失中にできた妻だけは違います。
下手をすればキスすらしたことのない過去の女に、現役の妻が破れるのです。ここに負けヒロインとしての圧倒的なポテンシャルがあるといっても過言ではないでしょう。
先にキスしたり告白したりして既成事実を作ろうとするライバルキャラがいますが、その最上位ともいえる存在ですね。
当然ながら、婚姻関係まで結んでいるので、その解消は容易ではありません。上記の通り、浮気略奪ENDというのはあまりにも心象が悪いで。
そのため、記憶喪失中にできた妻はだいたい死にます。
あとくされのない平和的解決ですね!
今回紹介するラリサの他にも、「砂の城」のジョルゼなど、記憶喪失中にできた妻はたびたび登場しますが、だいたいは夫の気持ちが自分にないことを確信したのちに死を選びます。主人公の恋路を邪魔した罪は重いのです。
負けヒロイン好きにとってもかなり上級者向けである設定の「記憶喪失中にできた妻」ですが、まずキャラクターとしての魅力を紹介しましょう。
新しい生活の象徴
記憶喪失になった男は、新天地で平和な生活を送っています。そんな穏やかな生活を象徴するのが妻の存在です。新しい土地で、妻と温かく幸せな家庭を築く。主人公との壮絶な恋愛物語の対極ですね。
当たり前の生活を、当たり前に送る仲睦まじい夫婦・・・おそらく世の少女たちはこちらの生活にあこがれを抱いた方が現実的だと思います。
一途で献身的
記憶喪失中にできた妻にもいろんなパターンがありますが、特に多いのは「男を甲斐甲斐しく介抱した女性」と結ばれるというケースです。必死に自分を助けてくれた女性の好意を無碍にするなんてできるわけがありません。
まさに良き妻を地でいくタイプといえますね。波乱万丈の恋をするヒロインとは、対極の性格付けになることも多い。
積み重ねた日々
これは主人公に圧倒的に差をつけている部分ですね。
夫婦生活を送っているのですから、積み重ねた年月については記憶喪失中にできた妻に分があります。男の日常の色んな部分まで、全てを知って愛してくれているのです。
たとえどんな動機があろうと、積み重ねた日々は簡単に消えるものではありません。
・・・と、ここまで見てきたらわかるように、普通にヒロインとしては記憶喪失中にできた妻の側に圧倒的に利があるんですよね。
そんな幸せをかなぐり捨ててでも、男はヒロインを選ぶのです。
妻の生活との生活を放棄し、破滅に追いやるのです。
幼馴染タイプのグッとくる悲恋シーンの鉄板に「当たり前だと思っていたものが崩れ去る瞬間」というものがありますが、記憶喪失中にできた妻に訪れる悲劇は、その中でも最上級といえるでしょう。
では、そのほころびはどこから来るのでしょうか。
何が夫婦生活を破綻させる突破口になるのでしょうか。
その正体は、平和を享受する夫婦愛の裏にある不健全な愛情であり、そのいびつさこそが記憶喪失中にできた妻の最大の魅力なのです。
不健全でも愛は愛。想いに身を焦がしながらも、罪悪感との間に揺れ身を引こうとする健気さが、記憶喪失中にできた妻を悲恋キャラクターとしてワンランク上の存在に押し上げます。
そもそも、記憶喪失の男という存在は訳ありです。
記憶を失って倒れている男に、なんらかの事情がないわけがありません。
記憶喪失の男には、帰るべき場所があるはずなのです。
理想を言ってしまえば、彼が元の世界に戻ることに協力してあげるべきでしょう。
しかし、記憶喪失中にできた妻はそんな彼の事情を無視して、自らの日常に引き込みます。
自身の想いを優先して、家庭という檻の中に閉じ込めてしまうのです。
この欺瞞こそが、記憶喪失中にできた妻の犯した罪であり、当て馬としての魅力を引き立てている部分でもあります。
もしかしたら手の届くかもしれない真実から目を背け、今の幸せを享受したいと願う心の弱さが、なんともいじらしくて素晴らしいですね。
結婚という契約で縛り付けたことによって、簡単には引き返せなくなっており、その葛藤も悲恋としてポイントが高いです。
ラリサ・ミハイロフについて
今回紹介するラリサ・ミハイロフさんも、そんな弱さが特に際立った「記憶喪失中にできた妻」です。
「はいからさんが通る」は大和和紀によって1975年に連載開始された少女漫画で、大正時代を舞台に、おてんばで破天荒な「はいからさん」こと花村紅緒と、その許嫁である伊集院忍少尉の恋愛を描いたラブストーリーです。
ドラマにもアニメ映画にも舞台にもなっている名作中の名作です。
じゃじゃ馬娘の紅緒は最初は許嫁の伊集院少尉に反発していたもののその芯の強さに惹かれていき、やがて二人は相思相愛の関係となります。
しかし、シベリア出兵の最中、少尉は部下を庇って行方不明となってしまうのです。
それでも、紅緒は伊集院家の屋敷に転がり込んで、少尉を待ち続けながら世継ぎを失った伊集院家を支えていくことを誓います。そして、家を支える傍ら、編集者としてのキャリアも歩んでいくのです。
そんな中、少尉そっくりのロシア人貴族サーシャ・ミハイロフ侯爵が、革命から逃れて来日します。
大方の予想通り、ミハイロフ侯爵の正体は、シベリアで倒れ記憶を失った伊集院少尉その人でした。
そんなミハイロフ侯爵の妻がラリサ・ミハイロフなのです。
まさに「記憶喪失中にできた妻」です。
紅緒は、少尉の正体を知った後も、既に円満な婚姻関係にあるラリサの存在を気にして、素直になることができません。
特に、ラリサは結核持ちで病弱の身であるので、なおさらです。この時点で死にそう。
しかし、ラリサが少尉を夫とした背景には、後ろ暗い理由がありました。
というのも、実はサーシャ・ミハイロフという人間はシベリアで死んでおり、少尉は本来の夫の身代わりなのです。
少尉にはとある出生の秘密があり、サーシャとは血が繋がった兄弟であり外見が瓜二つなのでした。
ラリサは許嫁であるサーシャを失った悲しみに耐え切れず、同じ時にシベリアで倒れていた少尉を、夫の代わりとしたのです。
まさに、真実から目を背けてつかの間の幸せに縋るしかない、とても弱い女性でした。
ラリサは、想い人を失うつらさを知っています。
なので、あくまでも惹かれ合う二人を見て、いつか少尉を紅緒に返してあげなければならないと考えていました。
そのため、一度は病気のために長野でひとり静養することを提案しています。
しかし、紅緒の方が一歩早く身を引く決意をし、紅緒をずっと傍で見守ってきた青江編集長との結婚を決めてしまいます。
これで、禍根は残しつつも全ては終わった・・・かに見えました。
紅緒と編集長の結婚式当日。
自宅で気を揉む少尉に、ラリサは自身の胸中を告白します。
忍さん・・・私はあなたが好きです・・・
そしてこのわたしに示してくださったご好意に
わたしはどんなに感謝しているかしれません
・・・それだからこそ・・・
わたしはあなたに恋のぬけがらになってほしくない・・・!
ラリサは人の恋路を邪魔して、あるべき道を奪ったかもしれません。
しかし、きっかけが不健全でも、間違いなく、ラリサは単なるサーシャの身代わりではない、少尉その人を愛していました。
それでも、自身の想いは許されないもの。
少尉を想うからこそ、ラリサは身を引くことを決意したのです。
しかし、ことは綺麗には運びません。
少尉が結婚式へ向かおうと誓ったその時、未曽有の大災害・関東大震災が起きました。
そして、ラリサは落下するシャンデリアから少尉を庇って致命傷を負います。
その際に発せられるセリフが私はとても好きです。
やっと・・・お役に立てた・・・
彼女がずっと感じていた後ろめたさが、報われた瞬間ではないでしょうか。
それが命と引き換えなのが悲しいところですが、ラリサは少尉に最大限の感謝を示すことができたのです。
そしてラリサは
わたしのあげた命・・・
あなたの恋・・・とりもどして・・・
と願いを託して、息を引き取ります。
本来の想い人であるサーシャの元へと旅立ったのです。
全てがあるべき形に戻っただけ・・・とはいうこともできますが、それでも少尉と過ごした日々も本物であり、その絆も間違いなく存在していました。
それを全て過ちとして夢にしなければならなかったところに、ラリサ・ミハイロフという女性の生き様と、切なさが詰まっているように思います。
主人公とは“別世界”を象徴する気品と高貴さ
身代わりでもいいから愛する人と添い遂げたい心の弱さ
不健全かもしれないけれど真っすぐな愛情
愛する人のために命と引き換えにしても身を引く切なさ
ラリサ・ミハイロフ夫人は記憶喪失中にできた妻としての魅力を遺憾なく発揮したキャラクターでした。
「記憶喪失中にできた妻」という概念が、再び脚光を浴びることを願ってやみません。