【悲恋ファイル6】悲恋に身を焦がすドM ユージィン・アレキサンドル・ド・ヴォルカン(花咲ける青少年)
こんにちは。
今回語るのは「花咲ける青少年」よりユージィン・アレキサンドル・ド・ヴォルカンです。
花咲ける青少年は樹なつみによる少女漫画。あらゆる側面で乙女ゲームに大きな影響を与えたとされる・・・らしい(このあたりは人から教えてもらったのでまだわからん)
本作は大財閥の一人娘である主人公・花鹿が、様々な闇や宿命を背負った3人+幼馴染の4人のイケメンたちを手懐けながら、困難に立ち向かっていく壮大なラブロマンス。終盤には国家の存亡をめぐる一大ドラマが展開されます。
それぞれが個別ルートを作れそうなレベルにキャラが立っていることや、スペックは高いのにメンがヘラっているイケメンたちを主人公の強さが切り開いていく姿が、乙女ゲームに通じるのかもしれません。
しかし、この作品はルート分岐のない一本の漫画作品。最後には一人を除いて当て馬になってしまいます。
ですが、単に当て馬を消化するだけではなく、想いを諦める姿も三者三葉で丁寧に描き切っているので、悲恋フェチとしても非常に完成度の高い作品なのです。
正直、誰を切り取ってもたっぷり語れるほどに魅力的なのですが、そんな中で今回はユージィンという“攻略一人目”といえる立ち位置のキャラクターについて語りたい。
この手のキャラクターは男性向け女性向け問わず、しばしば登場します。以前、ジェイガンタイプといって怪文書を書いたりもしました。
攻略一人目とは、文字通り最序盤に主人公に落とされるタイプのキャラクターのことを指します。
序盤に運命力を上げきってしまう都合上、その後エピソードが特に発生しないので、最終的には空気に近いポジションに落ち着いて、当て馬化していくのです。
しかし、好感度はエピソードの数とその時の運命力に比例するので、読者からの好感度は無駄に高くなるという罪深い存在。
最初に主人公の味方になってくれるという都合上、その後はずっと尽くしてくれるという忠犬のような一途さを兼ね備えているため、そっちの点でもポイントが高いのです。
なのに報われない。物語とは残酷です。
さて、ユージィンはフランスの貴族の家の三男で、極めて複雑な家庭の事情を抱えています。このあたりの事情はかなりドロドロ。
生まれついて魔性の魅力を兼ね備えており、これまで数多くの女性を自殺に追いやってきました。本人曰く、「彼女らは元から死にたがっていた」
そして、母が自殺した年齢と同じ19歳の誕生日と共に、自らも死ぬつもりでいました。
それを救ったのが主人公である花鹿との出会いです。
花鹿は、ユージィンをかつて溺愛していた豹であるムスターファの生まれ変わりであると確信し、彼をムスターファと呼びます。時系列?知らん
そして、天性のカリスマと勘で、殺されたがっているというユージィンの真の想いを見抜き、鏡の中の彼(=周囲の人物が思い描くユージィンの鏡像)を銃で打ち抜くことにより、彼の闇を解放するのです。
呪いに捉われた彼の人生は終わりをつげ、花鹿が第二の人生を与えてくれたのです。
その後、ユージィンは道楽貴族という自由な身分をフルに活用して、花鹿を助けます。
物語後半の舞台であるラギネイ王国にも単身乗り込み、情報を得るなど要所要所で活躍してくれます。
自身が忌み嫌っていた美貌もフルに活用するのが、彼の成長を感じさせますね。
しかし、それはあくまで便利屋としてのお話。
彼と花鹿の関係性が劇的に変わるようなエピソードは、最初のエピソード以外存在しません。まさに攻略一人目の悲哀。
そのため、最終的にユージィンが選ばれることはなかったのです。
花鹿からすれば、些細な救済だったかもしれないけれども、ユージィンにとっては人生を一変させる出会いでした。
だからこそ、彼は一途に彼女に尽くし続けたのです。
では、花鹿に人生を救われ、自らの人生は花鹿のためにあるといっても過言ではない彼が、最後にどんな結論を見出したのか。
でもそれでいいよ
ぼくは幸福感などほしくない
君はぼくの心を想って悲しむ
ぼくはその君の悲しみによってさらに傷つくんだ
だけどそれこそぼくの望んでいたもの
ぼく達のつながりは終わりがない
この悲しみの連帯は
どちらかが死ぬまで続くんだ
当て馬キャラは、叶わぬ恋を諦め、新たな人生を歩んでいくパターンが多いです。
しかし、それでは終わらないのがこの男。
彼は「悲恋」という関係そのものが花鹿と共にあり続ける唯一のあり方であるとして、彼女から離れることなく添い遂げようとするのです。
拗らせてますねえ。
登場人物にドM呼ばわりされていますが、まさにその通り。
適わない想いこそが、二人を繋ぐ最大の絆であるという結論を出したのでした。
ユージィンにとっては、花鹿こそが生きる目的そのものです。
であればこそ、花鹿が自分のことを忘れないでくれている限り、その痛みが自分を生かしてくれる。
つまり、花鹿なしの人生など、考えられない。
たとえ選ばれなくても、そのこと自体が生きている証拠なのです。
第二の人生の全てを花鹿からもらったユージィンだからこそ、たどり着いた結論であるとも言えます。
単なる当て馬として終わらず、「当て馬であることで永遠であろうとした男」
そんなユージィンが私は大好きです。